IQが20違うと会話は成立しないという俗説について
今日はたまに聞く俗説、IQが20違うと会話成立しない問題についてうだうだしてみます。
成立はするけどそんなに面白くはない
さて、IQが20違うと会話が成立しないとか言いますけど、実際のところどうなんでしょう。
IQ140以上の私が結論から言うと「話はわかるけどお互い面白くないよね」といったところです。
そもそもIQが高いというのは「肉体年齢に比べて精神年齢がどれだけ高い or 低いのか」を表す指標です。
そんなIQについて、肉体年齢と精神年齢のグラフがこちら~。
例えば、肉体年齢20歳でIQ130の人は、精神年齢26歳です。
さて、日本では最低でも6歳から15歳までの9年間は義務教育として学校に通うことになっています。そして人によってはもっと長く、高校とか大学とかに行くでしょう。
学年というのは基本的に同い年の人しかいません。そうなると「周りとの精神年齢が合わない」という現象が起こります。
例えば小学4年生(10歳)のとき、IQが120ある子の精神年齢は小学6年生(12歳)となるためです。
大人になれば「たかが2歳の差」で済むのですが、子どもの2年はとても大きなものです。
これにより「会話が成立しない」が発生します。
そんな生活を、学生である期間中ず~~~~~っとしているのが高IQな人たちです。肉体年齢が増えると、精神年齢の乖離もひどくなるよ。
学習の姿勢の差
小学4年生(10歳)のとき、IQが120ある子の精神年齢は小学6年生(12歳)、その時何が起こるか。
高IQの子は「勉強楽勝で楽しい」とか「勉強簡単すぎてつまんない」とかなってるのに対して、平均的なIQの子は「宿題難しい!!」とかしてるわけです。
私の出会ったIQ高い人は「学校めっちゃ好き!勉強楽しい!」という人と「学校の存在が意味わかんない。自習の方がマシ」みたいな両極端な姿勢が見られるのですが、多分上に書いたような現象が元になっていると思われます。
ついでに「同級生と話する意味がわかんない。自習の方がマシ」みたいな人間も産まれたりします。私のことです。
そしてこれは高IQあるあるみたいです。ググると結構出てくる感じ。
話題の差
IQに差がある同級生とは、話題も合わないことが多いです。読める本とか理解できる話題に差があるので、お互いに「なんかちょっと話題ずれてるんだよね」とかなります。
趣味趣向的なものもあるのですが、かたや世界情勢についてのニュースを見て高IQな子が「ふむふむ、ここにある国とここにある国は、こういう理由で争っているのだなあ」としてる横で、もう片方の普通のIQの子は「意味わかんないからポケモン見せて!!」とかしてたりします。
または同じポケモンを見たにしても、「使役されるポケモンと使役するトレーナーの関係性…コーチングスキル熱い…」とやってる高IQと、「ワニノコかわいい」とやってる平均的なIQの子とかとか。
そんな感じです。一例ですけどね。
色々なことに差がつく生活を強制的に9年間送ると?
これがたくさん積み重なると、最終的に全然違う知識を持った人間になるわけです。
そして結局お互いに「同じテレビの話してるのに番組が全然違う」「同じアニメ見てるのに見てるところが全然違う」とかになってきます。
最終的には「話はわからなくないけどつまんない」になります。日本語は通じるんだけど、その日本語をもってして伝えたいものがあまりに違いすぎるんですよね。
「そんなの普通の人にもあることだよ!」と思うかもしれませんが、問題は「同じ話題についての話ができない」ってところです。
頭の良い人と悪い人の物の見方の違い pic.twitter.com/veezNfo7HO
— micorun🍎みんなのみこるん (@micorun) 2017年5月27日
ちょうどこんな感じ。
同じことへの情報量が違いすぎて、相対的に高IQにとっては刺激のない会話になり、相対的に低IQにとっては情報同士の繋がりが見えない会話になります。
IQ別!IQの差が20以内の人の割合
IQの差が自分と20以内に入る人の人数を出してみました。例えばIQ100の人はIQが80~120の人がどれくらいいるか、って感じです。
「IQの差が20以内を会話が成立する」「IQの差が20より大きいと会話ができない」が仮に本当だとしたら、高IQの過酷さが見えてきますね…。
IQが100(平均)の場合は91%くらいの人が会話できるのに対して、IQが160の人は1%くらいの人としか会話できないことになります。
必ずしも20の差があったら会話できないとは言いませんが、楽しいディスカッションができる人の割合と考えると、あまりに高すぎるIQも生きづらいものです。
高IQにも優しくしてほしい
これは個人的な恨み節にもなっちゃうんですが、世の中は大抵「平均」の人が多いので、平均の人が数の暴力で少数派を苦しめることが多いんですよね。
世の中は「弱者」には優しいんですが、「強者」には厳しいものです。そして高IQは「強者」と捉えられがち。
ちょっと問題になりそうな言い方ですが、知的障害者をいじめるのは「弱いものいじめ」なので、学級会です。「あの子は弱いので、みんなで守らなければならない」のです。
対して高IQで変わった子は「こいつが変わってるから悪いんだ」で、いじめられてても誰も止めてくれなかったりするんですよね。
勉強ができる。その一点で「守らなくていい強者」と認定されてしまうといいますか。
できる人にはみんな厳しい(と唱えてなんとか生き延びてきた)。
この記事を読んでいる人はほとんど大人だと思うのですが、いつか子どもができて、その子が生まれつき高IQだったり、その同級生に高IQの子がいたら、同調圧力から守ってあげてほしいなあなんて思ったりします。
(2018/09/23)
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